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国民生活の質を上げる健康日本21で禁煙

タバコをがしがし吸いながら世界一の長寿国になった日本。子どもは少ないのに、 さらに健康になりこれ以上高齢化を促進してどうするんだろうと思ったが、「健康日本21」の目標は、寝たきりや病気にならない健康寿命を延ばすことと、「国民の生活の質を確保する」ことらしい。いわば高齢化対策の一環といえる。

厚生省が99年に打ち出した「健康日本21」は、医療費削減を目指した健康政策ですが、この「社会コスト論」をベースとした、というわりにはさしたる根拠がありそうもない丼勘定の目標値が、そのくせむやみに細かく設定された、政府による国民管理のおもむきの極めて強いものだった。

原案にどんな目標値が並んでいたかというと、2010年までに、
・1日の平均歩数現在より1000歩増やし、男性は9200歩、女性は8300歩に
・睡眠で十分休養がとれていない人現在より1割以上減らす
・成人の喫煙率男女とも現在より半減
・アルコールを1日平均3合以上飲む人2割以上減らす
・食塩摂取量(成人1日当たり)13.5gを10g以下に
・野菜の摂取量(同)300gを350g以上に
・肥満(BMIが24.2以上の人)男性は32.8%を25%以下に、女性は27.1%を20%以下に
・学齢期のフッ化物配合の歯磨き剤使用45.6%を90%以上に増やす

といったあんばい。読して誰もが悪い冗談だと思うだろうが、厚生省は大まじめである。この論理構成がじつは個人の生活態度に干渉し、そのいっさいの多様性を許さないという、ひそかなイデオロギーに基づいていることです。人がある嗜好を持ち、個人的な不節制を行なうと、それがただちに『反社会的』の名のもとに弾劾されています。


全国的な健康ブームは、15年ぐらいまえにはじまったと思っている。
まず、1996年後半は、慶応大学医学部付属病院の近藤誠医師が著した患者よ、ガンと闘うな、が物議をかもしていた。年末に厚生省公衆衛生審議会が、「成人病」を「生活習慣病」に改め話題になった。

コンビニでよく特定保健用食品 (トクホ) マークを見かけるようになったのもこの頃だ。特定保健用食品制度とは、いわば健康食品に厚生労働大臣がお墨付きする制度1991年に発足し、 1993年に表示許可第一号商品が誕生。1997年に許可品目が100を突破した。

さらに1997年、厚生省は「21世紀における国民健康づくり運動」を1999年中に策定する方針を表した。これが、いままでにもちょこちょこと名前の出てきた、2000年からの10年健康計画「健康日本21」である。

タバコをがしがし吸いながら世界一の長寿国になった日本。子どもは少ないのに、 さらに健康になりこれ以上高齢化を促進してどうするんだろうと思ったが、「健康日本21」の目標は、寝たきりや病気にならない健康寿命を延ばすことと、「国民の生活の質を確保する」ことらしい。いわば高齢化対策の一環といえる。

これまでにも国をあげた健康増進キャンペーンは何度か行われてきた。今回のトピックは生活習慣病の原因を9つの項目(栄養・食生活、身体活動・運動、休養・こころの健康づくり、タバコ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、がん、それぞれ具体的な目標を定め、目標達成の方策をしめすこと。

9項目はさらに細かい領域に分けて数値目標が定められている。
たとえば、栄養・食生活では、肥満者の割合を5~10%以上減らす、
朝食を抜く人を5~10%以上減らす、野菜の平均摂取量を50グラム以上増やす。

休養・こころの健康であれば、睡眠による充分な休養をとれていない人を10%以上減らす……といった具合で、細かく計70目標。正直、大きなお世話だと思うのは私だけではないだろう。

前置きが長くなってしまった。本題はここからである。
タバコに関しても、喫煙率を減少するという数値目標の設定が検討されていた。しかも提案は50%の減少。同じく嗜好品項目であるアルコールは、多量に飲酒する人を約20%減らすなのだが、タバコに関しては喫煙者そのものを半分も減らそうとしていたわけだ。

当然、タバコ会社はじめ各方面からの反発があって決議は長引いた。そして幸いに2006年、喫煙者削減の数値目標設定は見送られることになった。目標は数値ではなく「やめたい人がやめる」という表現にとどめるそうだ。

だが安心してもいられない。「健康日本21」は、灰皿がなくなりつつある原因のひとつ、受動喫煙防止法の異名をとる「健康増進法第二五条」を作り出したのだから。


健康増進法の問題点
タバコを規制する動きは「健康増進法」に収斂しこの法律を梃子としてタバコの規制が強化されるという流れが作られつつあります。今まで述べてきた反タバコ論の問題点、行政のあり方の問題点がこの法律の問題ともなっています。繰り返しになりますが、ここで「健康増進 法」の問題を整理しておきます。

問題点の第一は、健康の定義がないことです。同法第一条に、「国民の健康の増進の総合 的な推進に関し基本的な事項を定めるとともに、(中略)国民の健康の増進を図るための措置を講じ」と、法の趣旨が述べられていますが、健康という名のもとに個人の領域に公権力が無制限に介入する恐れを抱かせる規定です。

健康とは生きる意味とのかかわりにおいて、また心身トータルで考えられるべきものですし、さらに、健全な状態とは個々人によって幅があり、加齢や環境によっても変化します。従って、健康とは極めて個人的領域に属することであるとともに、個人の自立・自律と自己責任を基本とするものです。

公権力の役割は、労働 環境.生活環境の整備という社会関係の領域までを担当し、運動や睡眠、さらには嗜好といった個人の領域には入らないことが筋と思われます。 しかしながら、世の流れは個人の領域に行政が入り込む動きとなっています。それは、背景に「社会が関年する健康」という思想が横たわっているからでしよう。

前述したように、今日に「社会が関与する健康」という思想が横たわっているからでしょう。前述したように、今日の健康観を代表するのは「健康とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態である」というWHOの定義であり、「身体的、精神的に良好な状態」とは「社会的に良好な状態」であること と解釈され、個人の健康が社会的基準によって決められるようになっています。

この社会的基準が消費を含めた個々人の多様性を前提とするものではなく、生産活動や生活行動における人間の規格化を目指すものとなると、そこには個人の自由が認められなくなります。個々人の健 康基準を捨てさせ、社会の健康基準に同調を迫る「健康への脅迫」が始まるのです。

社会的基準によって健康が決められていくこと、それは、さらに恐ろしい事態を招くこととなります。「異常の排除」現象です。WHOの定義にある「良好な状態」とはなにか。その定義ができないために、「良好な状態」を「異常がない状態」に置き換え、健康とは異常がない状態であるとして、絶えず「異常」を探し出して排除するようになるのです。

消去すべき異常が無限に細分化され、無限追求目的としての健康になっていくのです。加えて、異常の判断は医者に委ねられており、「少しでも黒の部分があれば、何らかの規制があって然るべき」 と公言する医学者も多くいる中で、この流れが加速されていきます。

世の中に完全な白というものはありません。黒白(異常か正常か)の判断は恣意的に流れる恐れが多分にあり、異常の 排除という行動は現代の魔女狩りの様相を呈することとなっていきます。次から次へと「異常」という烙印を押された物事が作りだされ、無限にある異常を無限に排除しようとする無限 連鎖の世界に陥ることになるのです。

健康増進法に「健康」の定義がないということ、それは、WHOの健康の定義およびその解釈に従うということになります。そのことは個人の領域に無限に公権力が介入することを許し、かつ、介入の名目は無数にある異常と判断されるもの、となることを意味しているのです。

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