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サードハンドスモーク(残留受動喫煙)や能動喫煙を考える

タバコの煙や臭いはいつになっても問題です。喫煙者VS非喫煙者の関係が浮き彫りとなるテーマですが…

特に部屋の臭いって残ります。ベランダで吸うには冬は寒いですし、たとえ外で吸っていても体に付いた臭いが部屋の中にも移ります。

特に衣類・髪の毛には臭い移りやすいのも欠点でしょう。煙については最近では煙の少ないものも開発されていますが、臭いに関してはなかなか難しいでしょう。

特に臭いは吸わない人間にとっては迷惑極まりないと思います。特に化学物質アレルギーの人からすると、普通の人が感じるニオイとは全然違うレベルです。

やっぱり喫煙者がいる家には臭いが家具・壁・全てに染み込んでいて脳に臭いが焼きついてなかなか取れません。いやな人にとっては何度も引っ越す場合もあり、以前、または周囲に喫煙者が住んでいるとか確かめることはできないのが問題点です。

隣からベランダがつながっているのでタバコの煙来ます。冬はまだしも、春や夏は窓を開けるのでダメです。アロマとかを焚けば多少は緩和するでしょうが空気清浄機や夜間に前もって窓等しめておく等の対処をして我慢できるのであれば良いですが難しいのが現状でしょうか。

喫煙者の立場から考えると喫煙スペースは減っています。自宅で吸う分まで制限してしまうのもとは思いますし、ほんとは副流煙って十分に害なんですけど、自分一人が毒を吸ってるなら自己責任で済みますが、他人への迷惑を考えない喫煙者が多すぎるんです。国が禁止していない以上、どうしようもないです。

また、タバコの臭いが染み付いた部屋や本もそれなりに危険です。実際、喫煙室をキッズルームなどに転用する場合は、自治体なども改装を行っているようです。

どうしても気になるという人は電子タバコやアイコスなどが販売されるようになっているので、値段はかかりますが、対策としては有効だと思います。

能動喫煙と受動喫煙
タバコ論争で問題とされる二つの要素、すなわち、能動喫煙と受動喫煙は、必ずしも別々のものとは言えない。その結果、論争に非常な混乱が生じ、極めてナンセンスなものとなっている。最も頻繁に起こっているのは、能動喫煙の影響の研究が受動喫煙の影響の論争に持ち込まれることである。しかし、 これらの影響は、怪しいとされる物質の濃度がまったく異なると同時に、その一部は、別の物質によってもたらされたものである。

まじめな論者たちは、能動喫煙と受動喫煙のどちらを論じているのか、はっきりさせている。多くの論者はそれほど誠実でなく、なかにはその違いに気づいていない者さえいる。問題は、まことに単純。吸うか吸わないかは、即座に得られる楽しみと将来起こるかもしれない有害な影響との間で個人がくだす選択の問題である。

もしも、喫煙が健康にとって脅威であり、そのことが秘密にされていない限り、 どうするかは個人 の判断に委ねられるべき事柄である。これはヨットに乗るか自動車ラリーをするか、あるいは牛肉と豆のどちらを選ぶか、そのいずれともそれほど違わない。

それは個人的なことであり、その人の選択である。外から干渉する必要はない。 喫煙反対の宣伝活動では、社会的責任の要素を導入することによって論争に新しい焦点がつくりだされた。すなわち、喫煙によって健康をそこなうことは社会的財産の無駄遣いだというわけである。タバコの煙は白い壁を茶色に汚し、火事をよく引き起こすといって、タバコのもつ或る社会的側面に注意をうながした。現在の論争では、これらの影響は無視されている。他方、喫煙によって薬や病院ベッドや治療にお金がかかることを証明するために、欠勤日数、病気の治療費、保険の支払い額などの統計が用いら れている。

コストを比べる
実利的な証拠を用いても、喫煙と欠勤日数との間には何一つ関連性を示すものはない。アメリカ国立保健統計センターが1983年から85年にかけておこなった病気体暇に関する分析(ボニーラ〔Bonina〕)は、喫煙者が非喫煙者以上に仕事を休んでいないことを示していた。喫煙者が非喫煙者よりもずっと頻繁に開業医を訪れたという証拠もなかった。それとは対照的に、政府の病院統計によれば、デンマークでは健康的なスポーツ活動によって年間1、000万件もの医療需用が発生しており、その費用は1億ポンドに相当する。

もしも、国の行政が社会的、経済的、道徳的な配慮によって左右されるものならば、喫煙を云々する以前にフットボールや陸上競技を禁止すべきであろう。 誰もそのようには考えていないだろうが。

そう、タバコを吸うか吸わないかは、公衆が討論したり官僚が干渉する領域を越えており、個人の決定にゆだねるべき事柄なのである。最近、受動喫煙が論争の的になってきているが、その影響を明らかにすることはかなり難しい。それは非喫煙者が喫煙者から受ける迷惑に関するもので、このことは健康に関する問題というよりも、むしろ社会的もしくは文化的問題であることを意味している。

先進国では、大半の人々が室内で、時には大集団が同じ場所で、 より多くの時間を過ごすことから、 この問題は現在では以前にも増して切迫している。 私の人生のなかで、状況は急激に変わってきた。私が学校に通っていたころは、デンマーク人口の多くは田舎に住み、町のほとんどの労働者たちは、市役所の職員、運転手、市街電車や鉄道の従業員、水兵や熔接工と同じように、建築現場や製革工場といった戸外で活動していた。工場も家も同じようにストーブで暖められており、 ドアや窓のすきまから入った空気は煙突を抜けて外へ出ていくといったふうに、常に風通しはよかったのである。

受動喫煙のもたらす弊害
受動喫煙による永続的な影響は今までに何も示されてはいないが、日がチクチクと痛んだり、鼻や喉の痛み、頭痛、さらには不快な臭いを感じることは事実であろう。しかし、 これらはすべて主観的な迷惑事である。一部の人々を悩ませる事柄が他の人々には何の影響も及ぼさないこともあり、我々に委ねられた問題はすべて、迷惑の程度に関する人々の主張についてなのである。しかも、これらの問題は、その場の状況や質問する人々の態度によって変化する。

ちょっと起こりそうもないことだが、 もしも受動喫煙が腰痛を引き起こし、痛みのあまり喫煙者の傍にいられなくなるようなことがあれば、禁煙への動機づけも増すであろう。しかし、誰もそんな腰の痛みを測定することはできず痛み測定器も未だ発明されていない。受動喫煙に関係する他の一般的な迷惑事と同様、腰痛も、ある者はそれに気づき他の者はその減少に疑いを抱く程度の主張なのである。したがって、受動喫煙の影響の程度を明示することはできない。

我々はお互いに思いやりが必要である。しかし、問題はそれらの思いやりをどう扱うかにある。我々は治療に際し、例えば、喘息患者の症状が埃や絨毯、壁紙、植物、そしてペットからの影響を受けることで、 この問題を知っている。我々は喘息患者をこのような影響から守るため、居住環境の整備にどれくらいのお金を投資すべきであろうか。患者がそのなかで生活し、それなりの活動ができるよう、 どこまで世の中を変えねばならないのだろうか。

いったい喘息患者は、いつ頃からそれほどのハンディキャップを負っているために正常として受け入れられず、他の人々の中で暮らしていくことができないと、つまり、彼らがハンディキャップとともに生きていかなくてはならないと宣言されたのであろうか。このような問題に対する明快な回答はない。これからも絶えず討論をつづけていかなければならない。
そのうえ我々は、他人への思いやりというものが、常に経済的な可能性によって限定されていることを悟る必要がある。


「受動喫煙」に関するたばこ企業の見解
たばこ企業側は、受動喫煙の慢性影響についてはもちろん疑問を呈しています。BATは「受動喫煙が肺がんや心臓疾患などの慢性疾患の原因になるかどうかは明らかでないと考えております。

科学的な観点からは、受動喫煙のリスクがあるとしても、あまりに小さいため確かな精度では測定できないというのが私たちの見解です」とし、JTも「環境中たばこ煙は非喫煙者の疾病の原因であるという主張については、説得力のある形では示されていません。環境中たばこ煙への曝露と非喫煙者の疾病発生率の上昇との統計的関連性は立証されていないものと私たちは考えています」と述べています(PMIは「公衆衛生当局の結論に基づいて公共の場所での喫煙を規制するのは適切な措置であると私たちは考えています」と、公衆衛生当局の判断に従う姿勢を貫いています。

BATやJTの見解のとおり、受動喫煙の慢性疾患に対する影響を科学的に評価することはきわめてむずかしく、現状、受動喫煙の影響は過大に評価されていると思っています。もちろん、環境中たばこ煙の急性影響については体質的に煙に敏感な人、弱い人もおり、また子どもに対しても喫煙者は十分な配盧が必要であることはいうまでもありませんが。


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