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タバコや喫煙を批判する嫌煙権がどんどん拡大している

嫌煙権を求める市民運動はわが国では1978年に始まりました。そこから今日まで拡大し続けています。

嫌煙権の誕生
この四半世紀のあいだに急激に押し進められてきたタバコ排斥運動は、ごく象徴的にかいつまんでしまうなら、神様にアクセスするための儀式であった喫煙という信仰が、人権という新たな信仰に取って代わられる過程だったといえるかもしれません。

信仰というよりむしろ依存といった方が正確かもしれないにもかかわらず、連続したアイデンティティを維持することに、なぜかくも人間は熱心なのでしょうか。剥き出しになった人間は、依存することによって、その場、その場の生の意味を見いだしています。本質的には無意味な行為を繰り返すことで、境界を維持するのです。

喫煙しない者が、「非喫煙者の権利」を発見した時、彼らは自分をとりまく空間を自分の延長として設定したのです。侵入する煙との闘いは、「自分」を護る闘いでもあるのです。境界を維持し続けることで、より純粋な、より自律的な個であろうとするのです。そのこと自体が、個という神話への依存であると気づかないままになっています。

したがって、嫌煙権をめぐるやりとりは本来なら、人権という近代の発明品についての議論になるべきだったはずなのに、そうはならなかったのです。

最近のジェンダーフリー運動などを見てもわかるように、人権さまというのはいずれご乱心あそばすものと相場が決まっていて、社会的弱者からの人並みの生活の希求という正論のかたちを取るのでたいてい扱いづらく、手をこまねいているうちにとんでもなく増長しているというのが常なのですが、こと嫌煙権の場合、第三者をガンに冒すかもしれないリスク(パッシヴ・スモーキング)が盾にされていたこともあって、タバコ喫みが恐縮しているうちに、気がつけば人権どころの騒ぎじゃなくなってしまっていたのです。

嫌煙権を求める市民運動はわが国では1978年に始まりました。2月に市民団体「嫌煙権確立をめざす人びとの会」が、4月には弁護士や学者による「嫌煙権確立をめざす法律家の会」が相次いで設立され、全国に散在していた反タバコ的な市民団体との連結もはかられました。5月には「嫌煙権確立を支持する国会議員の会」というのも発足しています。

嫌煙権運動の人たちは、アメリカに追随したわけじゃないといっているけれども、タイミング的にも論拠および主張的にも、WHO(世界保健機構)の動きをフォローしたと見て間違いないです。

1970年の第23回総会から始まったWHOによるタバコ規制活動のベースになっているのは、1964年に米国の公衆衛生総監に出された、能動喫煙が肺ガンや喉頭ガンなどの主要な原因だとするリポート「喫煙と健康」であり、このリポートが現在も喫煙をガンの原因とする説の根拠となっているのです。

これら嫌煙権確立をめざす人々によって当初、掲げられていた目標は次のようなものです。

○病院、保健所など、住民の健康を守るべきすべての施設を禁煙にするか喫煙場所を限定する。
○専売公社はタバコのコマーシャルをすべて廃止し、その広告費を喫煙者にマナーを守らせるための宣伝に使う。
○国鉄および私鉄各駅の構内とすべての車両を禁煙にするか喫煙場所を限定する。
○すべての学校、教育施設を禁煙にするか喫煙場所を限定する。
○小学・中学・高校の教育課程に禁煙教育をもりこみ、週1回‐月2回程度の授業を行なう。
○その他、逃げ出すことのできない職場、住民の税金で運営される公共施設は禁煙にするか喫煙場所を限定する。
「タバコのコマーシャルの全廃」なんていう急進的な主張も織り込まれていたものの、旗揚げ当初、嫌煙権論者たちが要望の中心としていたのは、主に公共の場所で非喫煙者が不本意な煙にさらされていることに対しての異議申し立てでした。
日本の現状は……
禁煙ファシズムの狂気のなかでWHOや厚生省のやろうとしていることは、嫌煙権の確立などを通り越して、国際機関や国家による個人生活の管理・監視の強化に他ならないのではないか?という疑問を持つ人もいる。

嫌煙権運動が歯止めのないものに変貌しつつあることへの少なくとも現状のタバコ規制への流れは、相手の立場を尊重したものではまったくないのです。

WHO神戸国際会議は99年に神戸で開かれた「タバコと健康」をテーマとする会議で、ノルウェーの元首相であるブルントラント事務局長が議長でした。この会議に集まった各国エリートの、「タバコが誰に対してどのように悪いのか」にまったく触れることなく「どうすればタバコ規制を進めることができるかの運動論」に没頭する姿が目立ちました。

このWHO神戸会議が相当な外圧になったに違いない厚生省による「健康日本21」の会議も似たような雰囲気だったことが、記事に書かれていました。WHOのご機嫌が厚生省を動かしているわけだから似ていて当たり前なのですが。

そして、仮説に仮説を重ねた虚構のもと、自律的に暴走しはじめたタバコ排斥運動は、とうとう「健康増進法」なる法を生み出すにいたったのです。厚生労働省の突っ走り方は諸外国に較べても急でした。東京の千代田区なんかそれ以前から、道端だろうと公園だろうとビルのすきまだろうと、たとえ灰皿がそこに備えてあろうと、公共の場所ではいっさいタバコが吸えなくなっています。

「路上禁煙条例」がいかに適当に決定されたかがわかって面白いです。アメリカにさえこんなゴリゴリな条例はないとも書かれています。

しかし、分煙とかマナーを守っていればパッシヴ・スモーキングはほとんどなく、だいたいもうとっくに喫煙所なんてもの隅の方に追いやられてると反論しても無駄なのです。タバコ排斥運動自体がフィクションである以上、実際のところがどうだろうと関係ないのです。

新聞の報道も不自然なまでに偏っています。公共施設の全館禁煙率は○○県ではまだ70%だとか、今度は歩きタバコと自動販売機を規制しろなど、タバコを吸うのはただの依存症すなわち病気だとか、これを機に禁煙したまえ、それが君のためだ、などというものばかりで、異論は皆無に近いのです。

『朝日新聞』と『読売新聞』のデータベースを「健康増進法」で検索したところ、朝日227件、読売225件、ヒットしましたが(全国版、地方版あわせ)、そのうち「健康増進法」に疑問を呈するような主張がわずかでも含まれているものは、読売に4件あっただけでした。おまけに、いかなる経緯で成立したものか解説する記事さえ、施行以後になると見当たらないのです。

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