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禁煙ができないのはタバコのせいじゃない!別の原因を見つける方法

吸わないほうがいいことは、誰よりもよくわかっているのに、なぜタバコが吸いたくなるのか?禁煙が難しいのは、吸いたくなる原因を取り除けないから。

なぜ、禁煙が難しいのか?
吸わないほうがいいことは、誰よりもよくわかっているのに、なぜタバコが吸いたくなるのか?
禁煙が難しいのは、吸いたくなる原因を取り除けないから。
「そんなことはわかっている」と思うかもしれない。

タバコを吸うのはリラックスできるから、緊張感やストレスがとれるから、集中力が高まるから、退屈しのぎになるから。味や匂いが好きだからかもしれない。
それとも吸わずにはいられないほどの中毒になってしまっているからだろうか。

自分の喫煙を正当化するための理由がひとつも見つからないことに絶望し、「自分は何かに依存しやすい体質だ」とか、「タバコは習慣だからやめられない」という言い訳をしたものだ。


必ず理解しておいてもらいたい事実、それは人が、タバコから喜びや心の支えを得ることは決してない、ということ。これはあなただけでなく、すべてのスモーカーに言えること。実際には、タバコを吸うとリラックスができず、集中力も落ち、退屈感やストレス、緊張感も増すのだ。
「手に何か持たないと寂しいからタバコを吸うんだ」という言い訳。

緊張したりイライラしたり不安になると、指でテーブルの上をコツコツ叩く人がいるが、タバコを手に持つのも同じことだろうか?
「タバコを手に持たないと気がすまない」という気持ちはわかる。
でも、タバコを手に持って、少し手のなかで遊ばせてから、また箱に戻す人が実際にいるだろうか?

もしも、手元が寂しいからタバコを手にしたいのなら、火をつける必要はないはずだ。タバコを手に持っただけで気がすむのなら、煙を吸い込む必要もないはずだ。
そういう人は、棒か鉛筆か何かを手に持っておけばよい。そうすれば小遣いもたくさん節約できる。


「口に何かくわえたいんだ」という言い訳
赤ん坊のおしゃぶりみたいに、口に何か入れないと精神が安定しない?
しかし、火のついていないタバコをくわえるだけで、精神が休まるとか、リラックスできるとか、つき合いの場が楽しめるという人はいない。

それよりもっとよいリラックス法や趣味があるはずだ。
何か人生の重大な問題に直面したとき、本当はタバコはいらない。人間にはそれに対処する力がもともと備わっている。

あなたはタバコが生活のささやかな楽しみであり、心の友だと思っている。これでは禁煙は難しくて当然。
人生の重要な場面にはいつもタバコが登場する。

リラックスしているとき、何かに集中しているとき、緊張したとき、退屈したとき、ストレスがたまったとき……。
寝ているときと食べているとき以外、すべての場面に顔を出す。食事中でさえタバコが手離せない人もいる。


しかし何より、禁煙からの一番の贈り物は、それまで忘れていた感覚、つまり、「生きる喜び」が戻ってきたことだ。
受け取った何千通もの喜びの手紙ほど嬉しいものはない。手紙にはよく、次のような言葉が書かれている。

人生を取り戻させてくれてありがとう
「人生を取り戻させてくれてありがとう」とは、どういう意味だろう?
タバコを吸ったことのない人なら、「肺ガンのリスクを軽減してくれてありがとう」と解釈するかもしれない。
でも本当の意味はこうだ。「邪悪な植物に支配される生活、自分をさげすまなくてはならない生活から脱出するのを手伝ってくれて、ありがとう。生きることの純粋な喜びを再発見することができました」。

ニコチンの罠から抜けだすのは、みじめで憂鬱な気分に覆われた悪夢のようなモノクロの世界から、太陽の光がサンサンと降り注ぐ健康で幸せな世界に放り出されるような感覚だ。
朝早く目を覚まして、からだにエネルギーが溢れていると感じるのは素晴らしい。

月曜日の朝でさえも、目を覚まして「今日はどんな嫌なことが起こるだろう」と考えなくてよいのだ。「なんて素晴らしいこの地球上にまた新しい日がやってきた」と思えるのだから。

心身ともに疲れているときは、モグラ塚も大きな山に見えるものだ。人がよく「金持ちで病弱であるより、貧乏でも健康でいたい」と言うわけは、ここにある。生活するうえで、とくに困らないような些細な問題でも、心身ともに疲れているために、それがとても大きな問題に感じてしまうことがよくあるのだ。
しかし、タバコをやめて心身ともに強くなれば、その逆のことが起こる。


禁煙では、タバコの本性を見抜くことが大切だ
タバコは心の慰めでも友人でも恋人でもない。
タバコに含まれる薬物に、あなたは依存している。
タバコは毒の盛られた杯だ。タバコは恋人を装ってあなたを抱きしめ、窒息させようとする。

その腕を解いて自由になるためには、真実を真実だと認める必要があるのだ。
想像してみるとよい。医者に行って、こう言われたらどうか。
「あなたはある病気にかかっています。これは難病で、数種類の治療を何年にもわたって受けなくてはなりません。一度治っても菌がからだに住み着いて、いつ再発するかわかりません」どんな気分になるだろう?

しかし、そのあと、別の人にこう言われたら?
「あの医者の言うことは間違いですよ。あなたの病気はすぐに治ります。 一度治れば、自分で進んで菌に感染されないかぎり、二度とかかることはありません。治療はすぐに終わります」うれしくて「早く治療を始めたい」と思うだろう。


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