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日本初の禁煙令はヨーロッパのものと意味が180度異なっていた

キセルは日本に浸透していき、キセルの長さや派手なつくりを競いあうことがはやり、ついには長さ1メートルをこえる朱塗りの「花見キセル」まで登場する。奇抜なファッションに身をつつんだ伊達者が、野遊びや花見に「花見キセル」を持ち歩いた。
歌舞伎や時代劇などで見たことがある方も多いのではないでしょうか。

実用性はともかく、自分の存在をアピールするにはかっこうの小道具であったにちがいない。
朱塗りのファッショナブルな「花見キセル」がはやったころ、物騒なキセルも登場してきます。

当時、「かぶき者」と呼ばれるならず者の集団が市中をかっ歩していた。異様な風体で徒党を組んでねり歩き、暴力をふるったり、おどしやゆすりをはたらき、善良な人々をふるえあがらせていました。

「かぶき者」たちも流行にならってキセルを腰にさして持ち歩いていたが、彼らのものは「喧嘩キセル」という鉄製の大きなもので、喧嘩につかう武器でもありました。

慶長14年(1609年)、幕府は社会秩序を乱す「かぶき者」のいっせい検挙にのりだします。同時に、そのトレードマークともいえる「喧嘩キセル」を禁止する目的から、日本初の「禁煙令」を出しました。

ヨーロッパ初の禁煙令が、「未開人の野蛮な風習」「悪魔の薬草」といった未知の文明への拒絶から出されたのに対し、日本初の禁煙令は、治安や社会秩序を乱す風俗を取り締まる目的から出されたものだったのです。


年貢米のため!たばこ撲滅令
日本初の禁煙令が出されたのち、さらに厳しい禁煙令が発令された。徳川幕府方が豊臣方を滅ぼした大阪夏の陣の後、間もなくのことです。
この禁煙令は、たばこを吸うことはもちろん、栽培や売買までも禁止するたばこ撲滅令ともいえる徹底したものでした。

記録によると、禁煙令発布から1年たったころに行われた「江戸のキセル狩り」では、山を築くほどのキセルが押収されたという。
たばこ撲滅令を出したのは、家康のあとをついだ二代将軍の秀忠。
徹底した禁煙令が出されたのは、秀忠がたばこ嫌いだったからということもあるかもしれないが、年貢確保が一番の理由だったようです。

国民的たばこブームによって、実入りのいいたばこ栽培に力を入れる農家が急激に増えました。
このようすをみた幕府や大名は、たばこ栽培に重点がおかれるあまり、米作が二の次になることをおそれました。当時は年貢として米を納めさせていたため、米の収穫高が減るのは幕府にとって死活問題だったのです。年貢高を守るためのたばこ撲滅令だったのです。

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