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日本人が最初に見たのは葉巻だけどキセル文化が定着した理由

キセルと葉巻、どっちが先?
日本は独自の「キセル文化」を生みだしました。
日本人が最初に見たたばこはキセルで吸うものではなかった。

1697年に出版された「本朝食鑑」という本がある。江戸前期の庶民の身近にあった食物や植物、風物などについて記した本です。

この中に、「南蛮人は初め、たばこの葉を筒状に巻いて、たて笛のように吸っていた」という記録がある。たばこの葉を巻いて吸うのだから、キセルではなく、葉巻を指しているのにまちがいないでしょう。

「本朝食鑑」には、「のちにキセルを伝える」とも書かれている。つまり、南蛮人は葉巻のあとにキセルを伝えたというわけです。
「南蛮」とはスペインやポルトガルをさす言葉であり、当時これらの国は「葉巻のメッカ」であったから、最初に葉巻が伝わったというのは大いにありえる話でしょう。


キセルはファッション
日本人が初めて見たたばこは葉巻でした。
にもかかわらず、どうして日本人は葉巻ではなくキセルを選んだのだろうか。理由の一つは、たばこの葉の価格によるものです。

たばこが伝わった当初、たばこの葉は輸入に頼っており、たいへん高価なものだった。たばこの葉一枚に対し銀十グラムという価格で取り引きがされたほどだ。葉をまるごと使う葉巻など、庶民にはとても手が出るものではなかったのです。

しかし、キセルなら、刻んだたばこをほんのわずかつめるだけで楽しめる。キセルは庶民の味方だったののです。

理由のもう一つは、ファッション。当時の「南蛮趣味」の大流行を抜きにして、キセルの流行は語れません。
種子島の鉄砲伝来以来、日本には次々と南蛮人が出入りしていました。
日本人にとって、南蛮人の衣服や装飾品、洋酒など初めて見るものばかりです。

その目新しいものに、珍し物好きでおしゃれに敏感な戦国大名や有力な商人が目をつけないはずはない。「南蛮のものこそ最新のファッション」となるまでに時間はかからなかった。当時、日本に上陸した南蛮人は着ている服から持ち物までほとんど買い取られ、日本を離れるときは裸どうぜんだったといいます。


「南蛮キセル」であなたもファッションリーダー
南蛮人によって日本に持ち込まれたものは数多くあるが、日本人はことのほか「キセル」に強い印象を持っていたようです。

南蛮風俗を描いた当時の絵画には、南蛮人とキセルがセットで描かれているものが実に多いです。
南蛮人が持ち込んだキセルは、テレビや映画の時代劇でよく見かけるキセルの2、3倍は長かった。それだけの長さのものを持っていると、かなり目立つ。その先からけむりが出れば、さらに目立ちます。

葉巻を吹かしていた南蛮人もいたはずだが、キセルの方が数倍も目立っていたため、「南蛮人のたばこ」イコール「キセル」というイメージができあがったのでしょう。
目立つキセルは、南蛮ファッションで身を飾りたい日本人にうってつけの「南蛮アクセサリー」だったというわけです。

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