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日本の反タバコ運動の始まりはWHOとアメリカの外圧によるものだった

今日に繋がる反タバコの気運が国際的な高まりを見せはじめるのは、第二次世界大戦後のことです。運動の中心はアメリカと英国ですが、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国は、早い時期からタバコ規制を政策化しました。

WHOとアメリカの外圧
タバコと健康の関係は、古くて新しい問題です。アメリカ大陸を原産とするタバコを吸う習慣は16世紀後半頃からヨーロッパに広まり、当初は万能薬のように扱われていましたが、すぐに有害説も登場しました。

常習喫煙者の脳には黒い沈着物が残るとか、人間の生殖能力を奪うとする見方もあったといいます。医師や聖職者も巻き込んだ論争に一応のピリオドが打たれるまでには、一世紀以上も要したとされています。

新世界アメリカに渡った清教徒たちは、当初からタバコへの規制を進めています。17世紀前半にはマサチューセッツやコネチカットの議会がタバコの摂取を抑える法律を成立させたが、あまり守られませんでした。

独立戦争が終わり、19世紀に入る頃になると、禁酒運動とも連動して、喫煙の弊害を強調する医師や社会改革運動家が増えていきます。「タバコとアルコールは悪魔の双子の息子だ」と嘆いた牧師もいたとか。

アメリカの禁酒運動はその後も広がり続け、1917年、連邦議会での禁酒法成立に至る(33年に廃止)。が、反タバコ運動の方は盛り上がっては下火になりを繰り返し、タバコは「地球上で販売された製品のうちで最もよく売れた商品」と形容されるほどの存在になっていきました。

今日に繋がる反タバコの気運が国際的な高まりを見せはじめるのは、第二次世界大戦後のことです。運動の中心はアメリカと英国ですが、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国は、早い時期からタバコ規制を政策化しました。

日本では78年が嫌煙権元年と呼ばれています。それまでも各地に禁煙団体は点在しただけだし、国立がん研究センターが厚生省の委託で延べ26万5千人を対象にタバコとガンの関係を調べた疫学調査などもありましたが、社会的な影響を持つまでには至っていません。

ところがこの年、「嫌煙権確立をめざす人びとの会」を名乗る市民団体と、弁護士や学者で構成される「嫌煙権確立をめざす法律家の会」とが相次ぎ結成されて、タバコ規制への端緒が開かれました。

二つの団体は時に嫌煙ファシズムなどと批判を浴びながら、主に喫煙の場所的制限、いわゆる分煙の制度化を訴えて、次第に成果を上げていきます。

「法律家の会」が国鉄に禁煙車両の設置を求めて80年に起こした訴訟は形式敗訴に終わったものの、87年に東京地裁の判決が言い渡されるまでの間に、禁煙車両が全体の30%以上を占める現実を勝ち取っていきます。

「健康日本21」に至る厚生省のタバコ規制への取り組みが、この頃から本格化します。95年には保健医療局長の私的諮問機関「たばこ行動計画検討会」が、「防煙」「分煙」「禁煙サポート」の三本柱を掲げて具体的な対策の進め方を示し、これを受けた形で労働省や人事院が喫煙マナーに関するガイドラインを作成して、あるいはタバコ業界による広告や自販機の自主規制が進んでいくことになるのです。

だが、厚生省を動かした最大の要因は、国内の嫌煙権運動などではありません。「WHOとアメリカの外圧だった」と言われています。

「タバコ白書」が公表された直後の87年11月、東京で「タバコか健康か世界会議」が開催されています。WHOやユニセフ(国連児童基金)などの後援で67年からほぼ3年ごとに続けられてきた国際会議で、この時は第6回目に当たっていました。 世界会議の開催が、そのまま強大な外圧になったということです。

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