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ライターへの不満から生み出されたジッポのこだわりや魅力とは

ジッポのカタチが変わることは今後ないと思われる。これは、ジッポの産みの親である、ジョージのおもいである。
彼は1930年代の初めまで、アメリカ、ペンシルバニア州のブラッドフォードで、兄と一緒に石油会社を経営していた。
だが、経営状態は思わしくなく、新しい事業に乗り出そうと模索していた。

そんなとき、彼はあるパーティに参加することになる。
それは夏の夜に開かれた、富裕層たちのパーティだった。
彼はそのパーティの途中、タバコを吸おうとテラスに出ていった。当時は、ライターが出回り始めたばかりの頃で、性能のよいライターはほとんどがつかなかったのだ。

高級ライターでさえ、着火機能や耐久性、形状などで満足のいくものはなかった。
これに目をつけるのである。
「きっとこれは商売になる!」彼は、ライターのボディーにクロームメツキを施し、価格を1セントから1ドルに値上げした。
だが、これは思うようにいかず、ほとんど売れなかったようである。
なにしろ、不況まっさかりのアメリカだ。そのような高い製品に金を出す消費者はいなかったのだろう。

彼はその会社に見切りをつけ、自らライターを開発することにした。
自動車修理工場の2階を間借りして、3人の従業員とともに、開発にいそしむのである。
そこは担末な工場で、設備も工具もありあわせのものばかりだった。しかし彼らは、そんな環境の中でも、今までにないライターを作る情熱に燃えていた。

彼らは、オーストリア製ライターの問題点を改善しなければならないと思っていた。
改善点はいくつかあった。
・キャップと本体が分離しており片手で火がつけられない
・フリントの動きが悪い
・風が吹いても火が消えないように耐風ガードがあったが、あまり機能していない

また、見た目のデザインもやぼったく、それも納得のいかないところだった。
彼らはまず、キャップと木体をヒンジ(蝶つがい)でつなぎ、片手で操作できるようにした。また、小型化を図ることですっぽり収まるサイズにすることに成功した。

さらに、最適位置を1ミリ単位でテストした耐風ガードもつけ、フリントも回しやすく改善した。
そして、デザインもスタイリッシュなものに一新したのだ。しかし、なんといつても目を引いたのは、「永久保証」という今までにない新しい制度だった。

これは、もし壊れた場合に無償で修理を行うという、画期的なものだ
1セントもとらないばかりか、返送料さえもジッポ社が負担。

よほど性能に自信がなければ掲げることができない制度である(この制度は現在も続いている。)最初こそ売れ行きは伸び悩んでいたが、約30万個を売り上げるほどになった。作り手の情熱がユーザーの心をとらえたのだ。
ちなみに「ジッポー」という名前は、同じペンシルバニア州で誕生した「ジッパー」の音の響きが気に入ってつけられたというのが有力な説となっている。

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