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日本で禁止されているタバコを栽培をしていた時期があった

現在では法律によって禁止されている栽培ですが、日本では過去に栽培が許可されていた時代もあります。現代では考えられませんが、いつごろに始まっていたのでしょうか。

タバコは、ナス科タバコ属の栽培種の葉を嗜好品に改良したものであり、日本のタバコ事業法2条1号では、タバコは「タバコ属の植物をいう」と定義されています。

タバコの起源は南アメリカ大陸にあると考えられています。1613年来日したイギリス商館長のコックスは老若男女がタバコに熱中していることに驚いたという。

日本最初の国民的タバコ大ブームである。当時は輸入に頼っていたので一部の大名や裕福な家庭のみで誰でも買えるわけではなかった。誰でも買えるようにするためには国内での栽培が必要となる。

日本で最初にタバコを栽培した時期や場所については色々な説があり、南蛮貿易で栄えた長崎、あるいはザビエルが上陸した鹿児島ではじまったという説が有力です。

タバコの栽培は種をまく時期や適した気候と土地、栽培方法を知らなければならない。現在でも稲作の6倍の手間がかかるとされているので、成功するまでは相当な苦労や人間ドラマがあったに違いないが、残念ながらその記録はほとんど残っていない。

栽培は無名な人々の労力によって成功し、そこから水の波紋のように日本各地に広まっていった。

タバコの栽培をはじめるにはまずは種が必要です。

ではどうやって手に入れたのでしょうか
実は最初にタバコの種を手にした日本人は徳川家康であった。関ケ原合戦の1年後1601年のこと。京都で病の床に合った家康のもとに交易の拡大を望むスペイン人が訪れ、タバコの種とタバコから作った薬を献上した。これが記録に残る最初のタバコの種の伝来です。家康は自ら薬を調合して飲むなど、知識が深かったので、タバコは万能薬という西洋医学の知識を耳にしていたはず。

貴重なタバコの種を手に入れた家康は早速栽培を命じたはず。その一種が長崎や鹿児島に持ち込まれて最初のタバコ栽培を成功させた可能性は高い。

家康が好んでタバコを吸ったという話はない。薬草として興味をもち、薬として使う目的であったと考えられるが、その目的とはうらはらに嗜好品としてタバコを楽しむようになっていきます。

日本へタバコが渡来したのは16~17世紀頃、スペインやポルトガルとの南蛮貿易によるものと考えられています。江戸時代になると、幕府により喫煙や栽培に対する禁令が度々出されましたがほとんど効果はなく、喫煙は庶民の習慣として定着し、キセルや細刻みタバコといった日本独自の「タバコ文化」が形成されました。

明治時代になると、タバコはアメリカ流の紙巻タバコが中心となる一方、政府からは税収確保の対象として注目されるようになり、明治37年にはタバコ専売法が施行され、タバコの製造から販売までをすべて国が管理するようになりました。

もっとも、自由経済へと向かう世界的な流れの中でタバコの専売制度は昭和60年に廃止され、現在はタバコ事業法により、日本におけるタバコの製造は日本タバコ産業株式会社(JT)の独占とされているものの、タバコの販売は同法に基づく財務大臣の登録や許可を受ければ可能となっています。


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