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禁煙運動もタバコを世界中にばらまいたのもアメリカが最初

1960年代に、アメリカやイギリスで始まった戦後の禁煙運動は世界中に広がっていきました。日本では、1978年2月に嫌煙権確立をめざす人びとの会が発足しました。そして、その二ヶ月後には、全国のタバコ問題に取り組む諸団体が集まり、「全国禁煙・嫌煙運動連絡協議会」が結成され、組織的な禁煙運動が始まったのです。

禁煙運動の歴史
1970年代には、工場のそばに住む住民が工場による環境汚染を糾弾したり、交通量の多い道路沿いの住民が、車の排気ガスによる大気汚染の規制や補償を求めたりする訴訟が数多く起こされましたが、それと同じように他人の吸うタバコの煙をかがされることに対して「きれいな空気を吸う権利」として「嫌煙権」が提唱されました。

これ以降、日本における禁煙運動は、この「嫌煙権」という言葉を中心に進められていくことになります。嫌煙権はつねに「喫煙の自由」や「喫煙権」などよりも優位な権利であると主張されてきました。
この段階では、喫煙者自身の健康被害について言及されることはあっても、非喫煙者の「受動喫煙」による「健康被害」という考え方はまだ受け入れられてはいませんでした。

そのため、日本の禁煙運動は、タバコの煙や臭いが苦手な人たちの主張から始まったのです。
1980年に、国鉄(現JR)、国、専売公社(現JT)を相手どって、列車の半数以上を禁煙車とすることなどを東京地裁に提訴し、通称「嫌煙権訴訟」が始まります。約7年間にわたる裁判の結果、嫌煙権を認めつつも、列車内においてタバコの煙に曝されることがあるとしてもその被害は受忍限度を超えるものではないとの判断が示され、原告の訴えは棄却されました。以後、原告側は、東京地裁から判決が下されるまでの間に、国鉄車両の禁煙化が進んだために、実質勝訴と判断し、控訴を行いませんでした。

この頃までの禁煙運動は、肺ガンとの関連性が問題視されていた喫煙者たちに禁煙を呼びかけることと、タバコの煙が嫌いな非喫煙者たちが意思に反して煙に曝されることを防ぐこと(「嫌煙権」の確保)だけに限定されていて、今から見るときわめて牧歌的に思われます。

私はこの時代の禁煙運動はまだ「健康的」だったと思います。それは、タバコの煙や臭いが苦手な人たちによる、いわば少数者の権利運動だったからです。喫煙者の中にも、列車内の煙が充満して空気が汚れている環境を避けたがる人たちもいて、新幹線のように乗車時間の比較的短い特急列車での禁煙車の増加を支持する人たちも少なくはありませんでした。
しかし、1980年代から、状況は一変します。ひとつには、巨大な国際機関であるWHO (世界保健機関)が、本格的に禁煙運動に取り組みはじめたことです。

1988年からWHOは、毎年5月31日を「世界禁煙デー」と定め、世界各国に幅広い禁煙イベントの実施を呼びかけ、全世界的な禁煙運動を繰り広げていくようになります。
そして、もうひとつは「受動喫煙による健康被害」という、新しい問題設定の登場でした。「受動喫煙」、すなわち、タバコを吸わない人でも、喫煙者の作り出す煙によって重大な健康被害を受けるという観点は、禁煙運動の歴史にはっきりとした変化を生み出したのです。

80年代以降つい最近まで、喫煙者自身の健康問題は自らとるべきリスクとして脇に置かれ、喫煙者の近親者が健康影響を被るのかどうかという、いわゆる受動喫煙の問題が主戦場になっていたからです。

フィルターを通して喫煙者の肺の中に入る煙(主流煙)と比べて、火のついた方から流れ出る副流煙は非常に毒性が強い。分析の結果を示されると、あらためてビックリします。

タールが2~3倍、ニコチンが2~3倍、発ガン物質ベンッピレンが3.7倍、ニトロサミン52倍、アンモニア46倍…どれもはるかに多いのです。

ヘビースモーカーの旦那さんがまだ丈夫なのに、タバコを吸わない奥さんの方が先にガンになる、ということがあっても不思議ではありません。9万人以上の大集団の非喫煙女性を13年間経読観察すると、夫がタバコを吸うと、その妻は肺ガンにかかりやすいことが判りました。

夫が吸わない場合を1とすると、夫が以前吸っていたとか、毎日19本以下の本数を吸っている場合は1.16倍、夫が20本以上吸っている場合は2.08倍、それぞれ肺がんにかかる率が高くなることが観察されました。

禁煙運動が、「科学」や「医学」の名の下に、WHOやその他の公的機関の後ろ盾を得て、政府や行政機関の権力を用いて、あらゆる反論を封じ込め、喫煙者の自由を奪うようになっていくという変化です。ここから後の禁煙・嫌煙運動は、それ自体が過剰で病的なものとなっていきます。

そもそも、「受動喫煙」という新しい概念に科学的根拠を初めて与えたのは、当時国立がんセンター疫学部長であった平山雄氏でした。同氏は1965年から、国勢調査などを利用して約24万人を対象にした調査を行い、非喫煙者の妻が喫煙者の夫から受ける健康被害について、ヘビースモーカーの夫を持つ非喫煙者の妻たちは肺ガンの高いリスクを持つ。日本からの研究を発表し、世界に大きな衝撃を与えました。

この論文で、平山は喫煙者の夫を持つ非喫煙者の妻たちが肺ガンになる確率は、夫がタバコを全く吸わない場合と比べて約2倍高くなると結論づけました。後述するように、この研究にはさまざまな問題点があるのですが、それでもタバコが、それを吸わない人たちにまで大きな健康被害を与えるという研究は世界中に大きな反響を及ぼし、その後の禁煙運動の流れを決定づけることになります。



禁煙運動の文化的背景
タバコの問題を考えていくと、必然的に文化や宗教の問題に突き当たらざるをえなくなります。
言うまでもなく、健康に与えるタバコの害を過大に宣伝して、過激な嫌煙ブームを作り出したのはアメリカです。同じくアングロ=サクソン系のイギリス、カナダ、オーストラリア、 ニュージーランドなどの国々でも極端な喫煙規制が行われているのは周知の通りです。

アメリカという国は実に不思議な国です。タバコを世界中に売り、世界一のタバコ産業を生み出したアメリカが、今度はそれらを全面的に締め出そうとしているわけですから。

イギリスの禁欲的なピューリタンたちによって作られたこの国は、「自由の国」の理想を掲げながらも、悪名高い禁酒法をはじめとして、多数派の主張を押しつけ、少数派の愉しみや権利を迫害してきた歴史をもっています。アメリカで生まれたモルモン教やクリスチャン・サイエンスなどの新宗教もピューリタニズムに輪をかけて厳しい禁欲を信者に課しています。元々、「禁煙運動」が宗教団体を中心に展開されてきたのは右に見てきた通りです。

「禁欲的」という言葉は、文字通り自らの内なる欲望を抑制し、欲望を「悪」だと捉える思考法を意味しています。酒やタバコやセックスはもちろんのこと、場合によってはコーヒーや砂糖さえ禁じられるのです。そして、そういう自分たちの考え方が「正しい」といったん思い込むと、それを周囲の人たちに推奨するばかりではなく、無理にでも押しつけようとする傾向があります。なぜなら「正しい」ことを否定する者はすべからく「悪」であり、邪悪な「異教徒」となるからです。

ですから、禁欲的な「ダイエット」や「フィットネス」などの健康法ブームがアメリカから始まったことにはちゃんとした理由があるのです。いったん「肥っている」ことが「自己管理ができず、仕事にも支障をきたす」ということになると、肥っている人は痩せるための「努力」を怠っており、「勤勉さ」が不足しているとみなされるために、みんな必死になって痩せる努力をしなくてはならないということになるのです。


今日、アメリカは政治、経済のみならず、科学や文化など、あらゆる面においてグローバルに圧倒的な影響力を持っています。たばこにおいてもアメリカン・シガレットおよびシガレット企業は世界を制覇しつつあり、アメリカにおけるたばこをめぐる諸問題とその展開は世界に大きな影響を与えます。そこで、駆け足ではありますが、震源地としてのアメリカにおける反たばこ(シガレット)運動の歴史を概観してみましょう。

アメリカはピューリタンの創った国であり、喫煙は飲酒と同様、宗教・道徳上から好ましくない行為とされましたが、建国時は今日のようなシガレットはなく、喫煙が常態化することもなかったので、たばこの排斥運動が大きな潮流となることはありませんでした。初期の禁煙運動はむしろ禁酒運動に従属していて、喫煙は勤労意欲の低下をもたらす飲酒を誘発するという理由から、婦人キリスト教禁酒同盟などによる禁酒運動のなかで進められていました。

ところが、1880年代になって近代工業的なシガレットの大量生産が始まり、価格が下がって誰でも手頃な値段でたばこが買えるようになると、反シガレット運動という形で禁煙運動の波が高まります。後述するように、シガレットがきわめて吸いやすく、低価格とあいまって新たに青少年や女性の喫煙を増やすことが懸念されたからです。

その結果、未成年者へのシガレットの販売や未成年者の喫煙を禁止する法律を制定する州が相次ぎ、1940年までにはテキサスを除くすべての州が制定するにいたりました。こうした状況のなかで、禁酒運動に熱心な両親に育てられ、婦人キリスト教禁酒同盟にも属していた教師のルーシー・P・ギャストンという女性が1899年、イリノイ州のYMCAを母体として、シカゴ反シガレット連盟合を設立し、反シガレット運動を始めました。

彼女は、喫煙は飲酒を助長し、飲酒は犯罪に導くという伝統的な道徳観を持っていました。
救世軍なども、喫煙は人格的な欠陥にもとづくものであり、シガレット喫煙はさらに堕落に導くという、これまた伝統的な道徳観のもとに反シガレット運動に参加しました。

一方、この時代、フォードやエジソン、ケロッグといった著名人たちも反シガレット論を展開しました。フォードはシガレットを「小さく白き奴隷商人」と呼び、青少年が「奴隷商人」の虜にならないよう、喫煙の有害性を説いた本を出版しました。彼らは道徳的な見地というより、シガレットの巻紙の燃焼に伴って生ずる有害成分(アクロレイン)が神経や脳に悪影響を及ぼす(エジソン)という論によって、とりわけ将来を担う青少年の喫煙を問題にしました(エジソンはシガー喫煙者でした。

1996年に未成年者に対する厳しい販売規制を打ち出したクリントン大統領も、シガーの愛用者でした。こうしてシガレットの製造や販売の禁止を求める運動は全国的な広がりを見せ、シガレットによって斜陽に追い込まれたシガー業界のサポートもあって、各地で活発な法制化運動が展開されました。

その結果、「禁酒法」が施行された翌年の1912年までに中西部を中心とする15の州でシガレットの販売を禁止する、いわゆる「シガレット禁止法」の成立を見ましたが、それ以外の州でも郡や市レベルで禁止法を制定するところがありました。

しかし、すでに1920年代初頭にはシガーやチュウイング(噛みたばこ)など、ほかの喫煙形態を凌駕して1位になっていたシガレットの販売を禁止するのは困難で、当初から取り締まりは緩く、脱法行為も横行しました。
タバコ1OOO円問題と税金
さて、現在の禁煙運動が、まちがった科学的権威を振りかざすWHOによって主導されていることは、これまで見てきた通りですが、もはやその流れは暴走機関車のようになって、止めることができないまでに膨れ上がってきています。日本でも、健康増進法以降、路上禁煙地区の指定、鉄道やタクシーでの全面禁煙、TASPOの導入と矢継ぎ早に禁煙政策が進められてきましたが、2008年の春になって「タバコ一箱1000円に値上げせよ」というような声まで上がってきました。

元々は日本財団会長の笹川良平氏が「税収を9兆5000億円増やす」ということで提言したものですが、中川秀直氏や鳩山由紀夫氏など自民党・民主党が中心となって結成された超党派の議員連盟が生まれ、タバコ一箱1000円を目指すことになったのです。自民党の税制調査会でも早速それを検討議題に加え、(増税に向けた)議論をしていくということになりました。

この時に使われたレトリックが、「日本でのタバコの値段は安すぎる。欧米先進国では何倍も高い税率がかけられているのだから、たとえ1000円でも高くはない」というようなものです。この問題を理解するためには、まずタバコ税がどのようなものであるかを見ておく必要があります。

タバコにかかっている税金はなんと5本につき0.82円。そして、最後にかかる税金が消費税です。20本で300円のタバコのパッケージひとつの中にこれらの税金が189円と、60%以上が税金であるということになります。これをさらに1000円にしようと言うのですから、ほとんどが税金ということになってしまいます。

もちろん、世界各国ではもっと税率が高い国もあって、デンマークなどは価格の約81%が税金。イギリスは79.5%です。アメリカでは州によって値段が違いますが、一番喫煙に厳しいニューヨークでは、パッケージ10ドルというところもあり、イギリスやフランスでは800円くらいのところもあるということから、日本でももっと値上げしてもいいのではないかという話になったのです。

しかしながら、ここにはからくりがあるのです。ヨーロッパではEUに加盟している国々の多くで統一通貨「ユーロ」が用いられているのですがこの話が持ち上がった頃の「ユーロ」は「ドル」に対して通貨の交換レートがきわめて高くなっていたのです。元々「1ドル= 1ユーロ」で設定されたのに当時は1.5~1.6倍ほど高くなっていました。

したがって、 フランスでのタバコの価格五ユーロはフランス人の金銭感覚では500円なのですが、日本人にとっては800円を超える金額になってしまったわけです。つまり、欧米先進国でもその国民の金銭感覚からすれば一箱1000円も取っている国はほとんど存在しないというのが事実なのです。

また、諸外国のすべてが日本よりもタバコが高いというのは事実ではありません。個人的に2006年に旅行したときの経験でも、イタリア、オーストリア、チェコ、スペインなどでは日本とほとんど同じ。ハンガリー、ポーランドでは日本よりもずっと安く買うことができました。

ただ、一般に西ヨーロッパの経済が発達している地域でのタバコ税は、相対的に高めに設定されていると言うことはできます。そのため、パリでもロンドンでも、屋外で一服していると、貰いタバコをねだってくる人が多いことに驚きます。日本ではそんなことは滅多にないのでちょっとびっくりしますが、特に若い世代にとって、人からタバコをもらったり、人にタバコをあげたりすることは一種のコミュニケーションの手段であると同時に、シェアすることによって喫煙者たちの連帯を強めるというような意味合いもあるようで、上手に断らないとむっとされることがあります。よほど感じが悪い場合以外は断らないで一本あげてしまうのもいいかもしれません。

タバコが税金の塊であることは、値上げをしてもしなくても同じことです。その意味では少しずつ税率が上がっていくことは仕方ないことなのかもしれません。しかし、いくら何でもいきなり1000円というのは行き過ぎである上に、理屈が通りません。これまでも、何度もタバコは値上げされてきました。しかしそれは経済成長率が伸びたり、国民の所得が増えたりした時期に合わせた値上げがほとんどだったのです。もし、 一箱500円を超える値上げがなされたとしたら、それは暴挙としか言いようがありません。ただし、今の状況をみると、最初に「1000円」とふっかけておいて、とりあえず500円くらいまでに引き上げようという戦略なのではないかと思います。

日本は1990年代を通して、いわゆる新自由主義経済政策を取ってきました。そこでは企業減税や、累進課税の軽減など、いわゆる税の公平性と経済の活性化という観点からの税政策が取られてきたはずです。それなのに、喫煙者だけを増税するというのは、いくら国家財政が緊迫しているとしても、全くこれまでの政策と辻棲が合わない話です。

また、禁煙運動側がよく主張する、タバコによる経済的損失が年間7兆3000億円もかかっている(医療経済研究機構によるデータ)のに対して、タバコ税収は約2兆円しかないのだから、喫煙者がもっと税金を負担するのは当然だというような議論に対しては、まずもってその損失が「喫煙や受動喫煙によって発生する医療費」という、全く当てにならない計算に基づいていることからも論外なのですが、実際は、タバコ税は国や自治体の一般財源に組み込まれたり、国債の償還に使われたりしているわけですから、喫煙者だけを増税する値上げの理由にはなりません。

タバコ税や酒税が昔から国家の重要な税源であったことは言うまでもありません。しかし、国から都道府県、市町村に至るまで税金を喫煙者からむしり取るのなら、せめてそれらの自治体に喫煙者のために快適に喫煙できる場所の確保や整備くらいはしてはしいものです。タバコを吸える場所をどんどん奪っておいて、税金だけ増やすというのは、あまりに筋が通らない話だと思います。喫煙者に対してだけ増税するというのなら、最低限、それぐらいの喫煙者向きのサービスをしてほしいものだと思います。




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