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喫煙者の肩身が狭いので愛煙家は減少傾向だけどタバコがやめれない


やはり最近の喫煙環境は悪化していく一方です。
そして16年連続で喫煙者は減少傾向なのも納得ができると思います。
しかし喫煙者の皆が共通して思っていることは肩身が狭くなっているではないでしょうか?
違法なことをしているわけでは決してありません!
喫煙者の主張をまとめました!
マナーは守るけど喫煙スペースは欲しい
近年、愛煙者の肩身がものすごく狭くなっていると多くの愛煙者が感じている事でしょう。

特に急に吸いたくなる時に喫煙スペースが全くなくて閉口する事もあるのでは。

でも・・あまりにも邪魔者の様に、愛煙者をこの社会は扱っていませんか?

私達は、一応タバコ税という税金も払っているんですよ。
もう少し、スペースを提供してもいいんじゃないですかと声を大にして言いたいですよね。 会社に居る時や、イライラした時やちょっと手持無沙汰の時にはタバコってすっごい役に立つんですよね。

ちょっとした緊張を和らげてくれるし、ちょっとした時間も潰せたりするし、タバコ無しの生活は考えられません。

タバコの値段もどんどん上がっているけど、もう少しあげてくれてもいいと言う意見もあります。 その代り、もっとスペースを提供して欲しいとつくづく感じますね。

喫煙は精神を安定させる効果がるのですが、現在の環境ではその効果も薄れているかもしれません。

タバコ自体は特に美味いものでもありません。

しかし、いつの間にか、習慣として吸い続けていました。タバコは百害あって一利なしと言われますが、本当にそうでしょうか?
タバコを吸っている多くの時は、単に習慣によるものですが、仕事で疲れたり、いらいらした時に吸うと、あたまがスッキリしたり、精神が落ち着いたりする効果もあるように思います。こうした何らかの効果があるから、タバコを止めない人が多いのではないでしょうか。  

受動喫煙に対して厳しい意見が増し、喫煙者は肩身が益々狭くなる一方です。喫煙者は、ポイ捨てをしない、喫煙場所以外では吸わないなどのマナーをしっかり守り、これ以上喫煙者の住み心地が悪くならないように注意しましょう。

その上で、タバコの煙が嫌いな人も、分煙をきちっと守る喫煙者を追い詰めずに、共存できるようにしたいものです
愛煙家の時間配分がすごい
喫煙者にとってはますます住みにくい環境となっていく現状であるが、これからもこの傾向が進みそうなので、やはり禁煙してみよう!と思う人も多いのではないだろうか。

私自身もほんの最近までは愛煙家であったので、タバコを吸う人の気持ちは実にわかる!

まず外出した時はタバコを吸える場所を常に探さなければならない

やはり人の行き来が多い場所では灰皿がない所でタバコを吸うと白い目で見られてしまう。喫煙者も色々と周りの状況を考えて喫煙しているのをもっとわかって欲しいという気持ちになる。

高いお金を払いタバコを購入しているのだから権利は主張したい!決して法律で禁止されているわけではないのに今では完全な悪者になっている感じがある。だから喫煙者は減少傾向なのだろう。

愛煙家で凄いと思う事はいくつかあるが、1番は時間配分ではないだろうか?

非喫煙者よりも休憩時間や自由な時間をタバコに費やしているのだから必然的に与えられた時間は短くなってしまう。その中でも効率よく行動しているのが喫煙者ではないだろうか?

時に愛煙家はタバコを吸うためにすごい力を発揮すると思う。

ただこのページをご覧になっているということは禁煙しようと決意された方だと思います。

愛煙家にとって残念なのは1度タバコを吸っていると一生禁煙から逃れることができないということです。ちょっとプレッシャーになりますが、これから禁煙の良さを色々と紹介していくので、参考にして頂きたいと思います。

禁煙して損した取引先との関係
最近では喫煙者の居場所が減ってきています。

喫煙することが罪悪であるかのように感じることも多くなってきました。
身体のこと、家族のことを思い禁煙することにしましたが損をしたこともあります。

例えば会社でのできごとを例として、取引先などのお客さまは企業の上層部(年上)の方が多く、又上司もやはり年上の場合が多いのです。

年齢が上がれば上がる程喫煙者が多く、商談など話をする場では必ずと言っていいほどタバコをすすめられます。
喫煙時は「ありがとうございます」と言う言葉で甘えることによって場もなごみ、話もスムーズに進んでいました。しかし禁煙したことによりお客さまにも不快な思いをさせているらしく付き合いがしにくくなってきました。

喫煙を我慢するではすまないのです。相手にとっても禁煙者の目の前でバカバカ喫煙するのは申し訳ないと言う思いにさせたり、禁煙者の前で喫煙することに罪悪を感じさせてしまっているようなのです。

禁煙したことによる喫煙者からの苦情?が周りから聞こえてくることがあり、なんだか損した気分です。
財源確保のためだけのタバコ税増税
このような思考経路をまわって策定された「健康日本21」試案は、その全体像も、ザミャーチンの『われら』を彷彿とさせる、馬鹿馬鹿しいほどの人間管理思想に貫かれたものになった。先に一部を紹介したが、もう少し列挙しておく。
「量・質ともに極端に偏った食事をする者の割合を減らす(一日最低一食、きちんとした食事を、二人以上で楽しく、30分以上かけてとる)」
「一カ月間にストレスを感じた人の割合を減少させる」
「60歳における20以上の自分の歯を有する者の割合を増やす」
「適正な身体活動をする者の増加」(国民の10%が早歩き毎日30分実行)。
誰も好きこのんで孤独な食事を摂っているわけでも、ストレスを溜めているわけでもない。早歩きの励行に至っては泣けてきた。私たちはなぜ、国ごときに自分の健康についまで指図されなければならないのか。
国民の健康管理に対する国の役割は、そして、こう位置づけられている。
国は健康日本21の全体的な戦略計画を組み立てる中枢組織である。まず、基本方針を明確にし、それを国民や健康関連グループに対して提示する必要がある。さらに、国は全国の健康指標を把握する情報システムを確立し、それを通した情報の収集、解析を行い、日標値の達成状況を追跡するとともに、国民や健康関連グループに対し、その結果の提供等を行う必要がある。
九九年の国会で成立した改正住民基本台帳法に伴い構築されていく国民総背番号制度が、ここでいう「情報システム」の中核になるだろう。『われら』同様、個人は員数として扱われるようになっていく。

一方、タバコを買いにくくすることで規制の効果を上げようとする狙いで浮上したタバコ税増税のプランも、政府や自民党内部のコンセンサスを得つつあるようだ。ただ奇妙なことに、喫煙人口の減少はむしろ二の次であるかのようなことを言う。

「三つの観点から、私はタバコ税を引き上げるべきだと考えているんです。まずタバコの健康被害を減らす。次に、社会の成熟化につれて健康の価値がますます高まっているが、これを政府として支援する意味。特に予防医学を充実させるために必要な財源の確保ですね。最後はこれと関連するが、タバコ税を予防医学のための目的税とすることで、従来は難しかった目的税の拡大の弾みにしたい。タバコ税は今でも、国鉄債務の返済に充てられる事業上の目的税になっているわけですが、それよりは予防医学目的とした方が、因果関係がはっきりしていて、国民の理解も得やすいでしょう。

日本のタバコは他の先進国に比べてすごく安いから、増税の余地は大きい。一本当たり3円上げるだけでも、一兆円の財源になるんです。吸いたい人はどうぞ吸ってもらって結構、ただしそれだけ医療費を押し上げる社会的リスクを伴うのだから、その分は負担してくださいよという考え方です。
いわゆる受益者負担と似た発想で、タバコ税増税は喫煙人口の減少というより、むしろ財源確保に力点が移っていることがわかる。
公園に集まるビジネスマンたちの真の理由
これほど多数である日本の喫煙者たちは、現在かつてないほどの「迫害」にあっています。その一例が東京都千代田区の喫煙事情だと言えるでしょう。
東京都千代田区は、大会社の本社や官公庁などがひしめく日本一のオフィス街であり、他に先駆けて2002年に「路上禁煙条例」を施行したことで有名です。同区の歩道のほとんどでは、喫煙が禁止されており、喫煙禁止区域内で路上喫煙が発見された場合には2000円の過料が課されるということになっています。このような「路上禁煙条例」のシステムは、その後多くの市町村で導入され、その区内全域や、駅前などの指定地域での路上全面禁煙がなされています。この千代田区について先日、テレビのワイドショーで「公園」が喫煙者たちに「占拠」されているという特集がありました。

それによると、千代田区では地区ごとに特定された喫煙所でしか、屋外での喫煙が許されていないが、そのほとんどが区内の公園に設置されており、そのため、公園に喫煙者たちが集まり、非喫煙者や子供たちが近づけなくなっていることが大きな「問題」になっているというのです。

テレビ番組が問題視していたのは、このように屋外での禁煙を強いられ、おそらく社屋内での喫煙場所も満足に与えられていない多数の喫煙者たちが、数少ない喫煙の認められた場所である公園の喫煙コーナーに集まり、公園に集う子供たちや非喫煙者たちに健康被害を与えているということでした。

しかし、公園の片隅の決められた場所で、しかも煙が拡散する屋外で喫煙することの何がいけないのでしょうか?
彼らの多くは、屋内での喫煙が厳しく規制された会社で、ガラス張りの物置のような狭い喫煙室の中に閉じ込められ、昼休みに外へ出ても、路上禁煙でどこにもタバコを吸える場所がなく、定められた喫煙所のある公園で一服しているだけなのに、マスコミはそんな彼らをまるで「社会の迷惑もの」のように報道しているのです。

千代田区では、ごく限られた公園のような場所以外に許可された喫煙所はありません。
歩道での喫煙が禁じられているために、喫煙者たちはビルの生け垣の奥などで、肩身を狭くして喫煙をしています。オーダーメイドの高級スーツを着た、社会的にも地位のありそうな立派な紳士が、生け垣の隅でこそこそと喫煙している様子を見ると、なぜそこまで追いやられなければならないのかとなんだか悲しくなってしまいます。
タバコ規制を「弱い者いじめ」と取る日本人の悪いクセ
タバコ規制を「弱い者いじめ」だと言って反論する愛煙家と称する人がいます。タバコをささやかな楽しみにしている人から、その楽しみを奪うことになるという論法です。

弱者に対する同情やひいきは、日本人の持つ優しさや美意識の一つとして語られることがあります。しかしタバコは、吸う人はもちろん、吸わない周りの人にも明らかに害があるのですから、そうした考え方は日本人の悪いクセと言うべきでしょう。

それと同時に問題なのは、日本で独自に形成されたタバコ文化です。
インテリがもっともらしく哲学や人生を考えるのにタバコは不可欠のもの、そんな文化が日本には長くありました。パイプはインテリの象徴、「紫煙をくゆらす」という言葉は、インテリの思索につきものの言葉として使われていました。

徹夜マージャンで目を腫らし、タバコでのどがイガイガになって、明け方の町を歩いて帰るというのが、大学生の一種の流行だった気がします。そんな風潮を表しているかのように、当時の映画を見ると、タバコのない作品などないように思えます。カメラ効果が悪くなると思えるくらい、もうもうと煙が立ち込めた映画もありました。見ているだけで煙くなってしまうほどです。そういえば、「煙が目にしみる」などというロマンティックな映画音楽も懐かしく思い出します。

このように、タバコはインテリのトレードマークという文化が日本には根強く残っているのです。今でも、いわゆる文化人と呼ばれる人の中には、愛煙家といわれる人が多くいます。

「タバコを持たないと原稿が書けない」という文筆家の発言は、まだいたるところで耳にします。日本でタバコ規制を円滑に進めるためには、そういった文化を過去のものと認識することが、まずは重要なのではないかと思います。

とくにメディアに携わる人たちに、それをお願いしたいと思います。ご自分たちがタバコ文化を色濃く引きずっているからなのかどうかわかりませんが、どうも、メディアが規制に及び腰な気がしてなりません。


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